更に皇子は「彼の地は、ただ訪れるだけで病が自ずからよくなった」と当地を賞讃されたのです。
しかしながら、中大兄皇子と蘇我赤兄の謀略にのせられて、あたら華の蕾のうちに、悲劇の最後を遂げられた皇子の生涯を思うとき、誰しも一掬の涙を禁じ得ぬものがありましょう。
温泉は、時代が進んで江戸時代には、文人や藩の武士、武家の女中たちが多く訪れ、華やかな賑わいを見せていました。
交通は海路で田辺市から船で来る事が多くこの頃から湯崎温泉と呼ばれるようになったようです。
また、大正末までは、湯崎海岸の岩場に自然噴出している湯を下に小石をしいて引き込んだ、共同の外湯でした。